花馬米のハワイぶらり一人旅

花ぷら11.5(2010/2)

搭乗開始時刻の少し前、ゲートに向かって歩く。この通路からワンフロア低くなっている搭乗ゲート前の待合エリアに下りるのだが、ここで搭乗直前の「手荷物検査」と「身体検査」が行われている。
バッグの中身の開披検査と、搭乗客の身体に接触して検査する2種類である。ここで数十人の待ち行列ができている。

検査の後、自動改札のような搭乗ゲート手前のフロアに降りていくと、とても寒い。天井の高い広い空間で、外との仕切りは大きなガラスだけである。ゲート前にはもう順番ができている。
われ先に乗ろうとしている人や、搭乗には優先順位があるということを懸命にアナウンスするゲート係員など、ずっと前から何度も繰り返されているであろう光景のただなかに身を置く。

搭乗が始まり機内に入る。進んでいくとエグゼクティブクラスのシートが、まさに「ズラリ」と並んでいる。おそらくこの機種は Boeing 747-400 であろう。でかい。だから2階のデッキに進むための階段があったり、このようにエグゼクティブクラスの空間も広く、座席数も多いのだろう。横方向に2-3-2という座席配置になっている。
いっぽう ANA では現在、成田-ホノルル間には、小ぶりの Boeing 767-300ER を就航させている。それに比べるとこのBoeing 747-400 は圧倒的に広い。

そうか、いろんな面でこの「圧倒的」であること、あり続けることが JAL の本当のコンセプトだったのかもしれない。大企業であれ商店であれ、経営とは結局バランス感覚なのだと思う。しかしそんなバランスよりも、圧倒的で絶対的で大規模でありつづけるということが目的化してしまい、「事情がどうあれ JAL はこうあるべき」といった、ある意味ねじれたプライドが加速してきたのかもしれない。
しかしこのような現象は JAL だけではない気が強くする。戦後日本経済をけん引してきたことになっている大企業などの組織には、少なからず共通して見られる現象ではないだろうか。「日本○○」というふうに、国名を冠(かんむり)にする名前の組織では、特にこの傾向が強いような気がしてしまう。そしてその内部組織構造を見るとき、まるで政府・行政の組織図をまっすぐに引き下ろしてきたかのように見えるのである。

戦後復興、経済成長をけん引してきた思想には一定の価値があることは間違いがない。しかしその成功体験に酔ったまま、今後も引き続き同じ論法や手法を続けてみても、現代の諸問題は解決の見通しがつかず、未来も見えてこない。この先どういうふうにやって行くべきなのか。日本のリーダ層や管理者層が、その答えを持ち合わせていないように感じるのは私だけであろうか。

そんなことを考えながら座席に着く。母は私の前の座席に座っている。最初から並びは取れない可能性があるということだったのだ。

【大鑑巨砲主義、護送船団方式、親方日の丸、...】
まぁ、いろんな言葉がありゃぁすが、拙者としましてはこれらを全部まとめて「オレたちゃスゴイんだ意識」と呼んでおります。要するに思い上がりと思い込みに根ざした、視野の狭い意識のありようです。
歴史を振り返れば、日本もかつて「八紘一宇(はっこういちう)」とか「大東亜共栄圏」というコンセプトでもって、戦争へ突っ込んで行きました。それまで日本にとって尊敬やあこがれの対象だった中国も、日清戦争以後は見下すべき対象になっていきました(江戸時代前期に現在の中国が明から清へ変わったとき、それまでの漢民族による国家ではない清との国交に、幕府が慎重であったことも影響しているかもしれません)。また世界へ目を転ずれば、アメリカの昨今のグローバリズム、またネイティブアメリカン(インディアン)を追いやって西進し続けた「マニフェスト・デスティニー」思想、旧ソ連やロシアのユーラシア思想、ドイツのヒトラーに代表される思想、最近は「ユニオンジャックの矢」で注目されるイギリスの思想、...。まー、どれもこれも、「オレたちが世界の中心、オレたちがイチバン」ということなのであります。

ちなみに「オレたちゃスゴイんだ意識」には女性版の「ワタシはスゴイのよ意識」など、単数・複数形を含めて全4種類取り揃えております。さぁ、アナタの回りのすごい(と思い込んでいる)ヤツを探してみましょう。そういえば、「ワタシ、脱いでもスゴイんです」なんてセリフのあるテレビコマーシャルがありましたな。


私が座ったシートは右側が通路で、左側2席には年配の夫婦が座っている。この3列シートの両側に通路があり、その外側に左右それぞれ窓側2席がある。B-767 300ER 型機とちがって、エグゼクティブクラス席がこんなにたくさん並んでいると、こころなしか「ありがたみ」が薄れてしまうような気もする。今日のフライトには、17名もの客室乗務員が乗り組んでいるのだそうだ。
シートはやや前時代的な感じのするコントロールスイッチがついている。
エンジンが本格的に回り出したのか、かすかに灯油が燃える臭いがしてくる。いよいよという気分になってくる。滑走路は 34L 。北北西の夜空へ向けて離陸する。

座席の前方に映画などを映し出すスクリーンや液晶モニタがあるが、離陸の時はたいてい飛行機の前方を映し出しているものだ。JAL 機は久しぶりに乗ったのだが、離陸してギア(=ランディング・ギア/車輪)を格納した後も、ずっと前方の様子が映し出されている。ということはランディング・ギアにカメラがついているわけではないようだ。しかし、離陸してしまえば機体は上昇姿勢なのだから、真っ暗な画面である。
ところで画面には、夜空の星がいっぱいに広がっている(...ように見える)。何人かの人たちが、感動したように「わぁ」と声をあげている。離陸前後は誰しも少し気持ちが高ぶるものだから、そう思うのも自然なことだ。しかし残念ながら、これは離陸後に広がる星空ではない。レンズの前にあるカバーのキズや汚れである。
かなり長い間、星空にのように見えるキズをスクリーンに投影したまま、B747-400 の上昇が続く。

機内放送では、ホノルル国際空港まで約5時間45分のフライトだとアナウンスしている。こりゃ、けっこう短かいフライトになるようだ。今の季節、北半球の中緯度域では、西から東へ向けて吹く偏西風が速度を増している。そのなかでも圏界面付近では特に速度が速い「ジェット気流」が吹いており、場合によっては秒速 100m にもなるようだ。このような強い風に乗ってホノルルを目指せば、早く到着することができ燃料も節約できるという寸法である。もちろん逆に帰りの便は強い向かい風にさらされるのだが。

【偏西風とジェット気流】
地球が球体であるがゆえに、地表に届く太陽の熱エネルギーはその緯度によって差があり、地表の暖まり方に違いがでてくる。そしてこのことにより、地球規模では規則的な風の流れができているのである。この「規則的な風」は赤道に近い低緯度域、日本が含まれる中緯度域、そして極に近い高緯度域にわかれて異なった特定の現象を呈し、中緯度域では西から東へ常に偏西風が吹いている(そのため西から東へ天気が変わっていく)。このうち特に速度の速い部分は帯のようになって対流圏上層から圏界面附近で蛇行しながら地球を一周しており、ジェット気流と呼ばれる。もちろん夏と冬ではその現れ方が違ってくる。ジェット気流はさながら、中緯度付近で地球を一周している風神の龍というところか。

【圏界面(けんかいめん)】
地表の大気には、地表に近い対流圏とその上の成層圏が存在する(その上にもあるがここでは省略)。雲ができたり風が吹いたりという気象現象は、地上約 10~15Km までの対流圏で発生する現象である。その上にあるのが成層圏であり、これらの境を圏界面と呼んでいる。
成層圏まで上がると気象現象というものがなく、圏界面より上に雲はできない。晴れた日に雲の頂上がまっすぐ平らになっているのを見かけることがあるかもしれない。それはきっと圏界面である。
成層圏を飛んでいるときの飛行機は、まるで動いていないかのように安定姿勢を保っている。


和食の機内食とあわせ、赤ワインをもらう。搭載しているワインの種類は多いようだ。私は勤務先の上司の影響もあって、ワインをかじり始めている。好きなのは赤ワインの中でも「がっつり」した感じのものだ。それっぽく言うなら、しっかりとしたボディ感のある、たとえばボルドーなどがいい。これに濃厚な味わいの料理を合わせるのである。
しかし、和食のあとで残ったオードブルふうのおかずも、あんまり合わない。そこで CA にお願いしてチーズを持ってきてもらうことにする。赤ワインは冷えすぎておらずちょうどいい具合だ。周囲は食事を終えて休みはじめ、機内の明かりが薄暗くなる中、私ひとり赤ワインとチーズで楽しんでいる。寝ている人に悪いので、自席専用のパーソナルライトも消す。我ながら異様な乗客である。

短いフライトのようだから、私もそろそろ休もう。

【 CA 】
一般にキャビンアテンダントの略であって、客室乗務員のことを指すのだが、日本航空内部では AT(アテンダント) と呼んでいるようだ。その取りまとめ役は CD(キャビン・コーディネーター)、チーフパーサーと呼ばれていた役割は、SU(スーパーバイザー)と呼び習わしている。
大組織って実態はともかく、なんか立派な看板をつけるのが好きだよなぁ...。

【足し算のワイン、引き算の酒】
私がワインについて影響を受けた職場の上司によると、ワインと料理の合わせ方の思想は、「足し算」なのだそうだ。
ワインがボディ感のあるしっかりとしたものであれば、それに合わせる料理もシッカリと自己主張するものでなくては、口の中でバランスが取れない。しかし日本酒と料理をあわせる場合は、酒も料理もそれぞれ相手を圧倒してしまわないような「控え」が必要で、自分を過度に主張しないことによって、相手と自分の調和をはかり、そこに「真理」を見いだそうとするのだそうだ。
つまり、東洋思想と西洋思想の違いが、食文化にも色濃く影を落としているといえるのかもしれない。これにはちょっと感動した。

そういえば鈴木大拙(すずき・だいせつ)も、西洋では世界をまず主体と客体とに分けてとらえ、その対立概念の中で思考を進めていく「知性」が大切にされるが、東洋思想の場合は分ける以前の状態、知性が生まれる以前の母性的なものに立脚する、いわば「無分別の分別」によって柔軟に全体をとらえて思考を進めるのだ、というようなことをいっている。

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